日蓮宗とは
日蓮宗を開かれた人は
日蓮聖人です。法華経の中から選ばれたお名前がそのまま宗旨の名称になっています。 |
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日蓮聖人 (身延山久遠寺身延文庫所蔵) |
開宗された時期は
鎌倉時代の中期、建長5年(1253)4月28日です。生まれ故郷の南房総は清澄山の旭ヶ森で、日蓮聖人は声高らかに「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えて、天地に立教を宣言されたのです。 これを立教開宗といい、聖人32歳の時でした。ちょうど西暦2002年が立教開宗750年になります。つまり日蓮宗は750年の歴史と伝統を持つ宗団です。
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御本尊は
久遠実成の本師釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)です。ご本尊のみこころ、おさとりの世界を図に現したのが「お曼荼羅(まんだら)」本尊です。日蓮宗はこの本尊を尊崇します。 | |
臨滅度時のご本尊 (鎌倉・妙本寺蔵) |
日蓮宗のよりどころ お釈迦さまが説かれた最高の教え「妙法蓮華経」、略して「法華経」をよりどころとして成り立っています。 仏教は「八万四千の法蔵」といわれ数えきれないほどのすばらしい教えが残されていますが、日蓮宗は法華経を「諸経(しょきょう)の王」すべてのお経の中の王様としてとらえよりどころとしています。 仏教の目的が「仏になる」こと、つまり「成仏」にあることは言うまでもありません。法華経は、すべてのものが仏になることができる教えであり日蓮宗の最終目的もすべての人の「成仏」です。
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日蓮宗のお寺と檀信徒の数は
日蓮宗のお寺は、総本山身延山久遠寺をはじめ、小湊誕生寺、池上本門寺等全国各地ならびに世界各地にまで寺院があり、その数は5300ヵ寺に及びます。 これらのお寺を拠点として布教伝道がなされています。その檀信徒の数はおよそ350万人。 信仰の中心は身延山で、その法灯(ほうとう)を継承する者を「法主」と言います。また、日蓮宗のお坊さんになるのに必ず入らねばならない「信行道場」もこの身延山にあります。 |
総本山身延山久遠寺 |
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大本山池上本門寺 |
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大本山清澄寺 |
日蓮聖人の略歴
日蓮聖人は貞応元年(1222)2月16日、今の千葉県安房郡天津小湊の漁村でお生まれになりました。人間として正しい生き方を学ぶため、12歳で父母のもとをはなれ近くの清澄寺で仏道修行に励むこととなった日蓮聖人は、この寺で4年間、寝食を忘れて学問や修行にうちこみました。 ご本尊である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に「われ日本第一の知者となさしめたまえ」と祈願された話は有名です。 この法華経を広めねばならないという堅い決意をもって比叡山を下ったのは日蓮聖人32歳の春でした。 法華経の中には、この経を広めると必ず法難がおそいかかると書かれていますが、その日から日蓮聖人は故郷を追われ、政治の中心・鎌倉で法華経の布教が始められました。 このときの辻説法は有名で、ひどい迫害を受けながらも徐々に弟子や信者も増えて布教は力強く進められていきました。この中で最も大きな出来事は『立正安国論』を幕府に献上しその政策をいさめたことです。 幕府は烈火のごとく怒り、いらい大難四ヵ度(松葉谷法難、伊豆法難、小松原法難、龍口法難)、小難は数知れず、ついに佐渡流罪となったのです。 厳しい寒さと飢えの中で、みじめな暗い影など微塵もなく、『開目抄(かいもくしょう)』『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』など大事な著述をされるとともに、信仰の対象である大曼荼羅を始めて図顕されました。 ここで本弟子6人を定め、力をあわせて法華経流布に精進することを命じ、日蓮聖人生涯の眼目であった立正安国論の講義をされ、その他諸々のなすべきことをなし10月13日、弟子・信者多数の唱題にかこまれ静かにご生涯を閉じられたのです。聖寿は61歳でした。 |
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日蓮聖人のご幼像 (大本山誕生寺)
日蓮聖人ご廟所 |